阿波学会研究紀要

このページでは、阿波学会研究紀要論文をご覧いただけます。
 なお、電子化にともない、原文の表記の一部を変更しています。

郷土研究発表会第9号  
徳島公園城山の研究 徳島生物学会 森本康滋
徳島公園城山の研究

   ―特に植物生態学的立場より―

   徳島生物学会 森本康滋

 

 1 はじめに

 徳島市民が朝夕眺めている城山は眉山と共に我々の心の友である。この城山は小丘陵ではあるが,長年月の間原生林として保護されて来たので、その生物学的研究の対称としての価値は大であり,学ぶべき沢山の事項を内蔵している実に興味深い山である。

 城山は徳島市の中心地にありながらその植物学的研究は少く,村井貞固氏が昭和34年頃当時の先生を集めて城山で採集会を催した際,10頁ぐらいのプリント(うすあお表紙)を作った(飯田義資氏談)が,現在所在不明。

 藤井芳一氏が戦前のことであるが城山のフロラを明らかにしたがこれも戦争のため焼失。昭和30年に木村晴夫氏の「城山の原生林」という研究があるが,もう少し詳しく調べる必要があると考え,1957年(昭和32年)から1962年(昭和37年)までの間,主として植物生態学の立場から,群落組成を中心に,種々な環境条件を調べる事ができたのでここに報告する。まだ調査しなければならない点も幾らか残されているが,今後の問題とすることにした。

 城山の歴史について色々お教えいただいた飯田義資氏,植生調査及び環境測定に多大のエネルギーを惜しまなかった当時城東高校生物部,石躍佳子,島岡輝子,小松郁子,坂尾ひろみ,岡部弘之,野沢雄一郎及び田野昇他の諸君の協力に対し感謝する。

 

 2 城山の歴史

 城山の歴史についてごく簡単に述べてみよう。城山が語る最も古い記録は,頂上から出た康暦2年2月(1380年)と記された板碑であろう。1385年細川頼之が「渭の津の城(渭山城)」を築いたが,その遺跡は頂上東北隅辺,護国神社参道の最も上の石段付近の南側にある高い石畳がそれであると伝えられている。

 1586年蜂須賀家政が渭の津の城を修築し秀吉の命により「徳島城」と改称し,ここに入ったがこの時頂上に本丸を築き,少し下って東および西にそれぞれ東二の丸・西二の丸を,西二の丸の下に三の丸をつくった。現在山をくずして造っている配水池が三の丸の跡に当る。

 1875年(明治8年)「徳島城」はとり壊され,1905年(明治38年)徳島市が蜂須賀氏より旧城地を買収(当時5万円)し,徳島公園を造営した。

 1937年(明治40年)束宮殿下行幸のため,城山の石段を一部花崗岩の石段にかえた。

 1922年(大正11年)鳥居龍蔵氏が城山の貝塚を発見(BC約400年頃のもの)

 1929年(昭和4年)西の丸運動場が完成,この時一部の心ある人が反対したが,城山の西側がけずりとられて運動場が広くなった。その跡に山崩れを防ぐため,当時高さ30〜50センチメートル位のニセアカシヤを植林した。

 1938年(昭和13年)護国神社が頂上に創建された。

 1945年(昭和20年)徳島市は空襲を受け護国神社は焼失。

 1958年(昭和33年)護国神社は再建され現在に至っている。

 1963年(昭和38年)城山の西斜面上部に配水池がつくられつつある。

(図−1 徳島市城山平面図)

 3 地形・土壌・地質および気候

 城山は吉野川のつくった沖積地にある分離丘陵で(東径134度33分,北緯34度4分),標高61.9センチメートル,東西約400メートル,南北約200メートル)という長い南北の斜面をもつ小丘陵であり,各斜面の地形は表―1に示す通りである。

 

 

 

 東斜面は少し北向きになっていて,傾斜角度は最大である。

西斜面は東斜面程広くなく,かつ西北隅がけずりとられて西の丸運動場になったので,最も狭い面積しかもたない。

 南斜面はほぼ真南に向いているが,局所的には南東或は南西である。北斜面は全体的に少しだけ西に向いていて,傾斜は四斜面のうちで最もゆるやかである。

 各斜面の土壌断面・PH及び含水量は図―2に示す通りである。南斜面が最も乾燥しており北斜面がよく湿っていることがわかる。

 地質は古生層に属する三波川変成岩類の結晶片岩より成り,主として緑色片岩より成る。

 城山の微気候については後述するが,城山に最も近い気象観測所は徳島気象台で,その観測結果は次の通りである。

 

(表−2)

 

 4 森林植生の概要

 城山は小丘陵ではあるが,蜂須賀氏の居城として保護され,300年余り原生林として自然森林植生の景観を保って来た。然し城跡の一部には築城当時植えられたと思われるホルトノキなどがあるが,各斜面は殆ど人為の影響を受けていない。植物的自然は照葉樹林帯に属し,気候極相としてシイ林の発達がみられる筈であるが,クスノキ,ホルトノキ,エノキ,ムクノキ等が優占種として群落を構成し,シイはわずかに数本あるのみである(城山の南西約1400メートル離れた眉山山麓にはシイの純林が発達している)。これは城山が急傾斜で,かつ土壌が乾燥しているなどの理由によるためであろう。

 小丘陵であるとはいえ,各斜面には異った群落が発達し,その相観は見る方向によって違う。即ち南斜面はクスノキ・ホルトノキ,北斜面はムクノキ・エノキ,東斜而はムクノキ・ホルトノキ,西斜面はニセアカシアが夫々優占種として発達している。

 

 5 各斜面の群落

1)南斜面

 主として常緑樹のクスノキ,ホルトノキでおおわれ,エノキ,ムクノキも混生している。高木層及び亜高木層が発達しているので草木層の発達は悪く,横冠の間隙の下などにシダその他の草本がみられる。群落組成は表―3に示す通りで,高木層にクスノキ(胸高直径140センチメートルを最大として,100センチメートル以上が4本もある。)が優占し,亜高木層にツバキ,ホルトノキ。低木層はツバキ,アオキ,イヌビワ。草本層にはベニシダ,イシカグマ等が夫々優占している。

 

(表−3 南斜面の群落組成表)

 

 

2)北斜面

 南斜面の優占種であるクスノキは全くなく,落葉樹であるエノキ,ムクノキが高木層を占め,次いでホルトノキ,イヌマキ等がみられる。このため冬季に南北両斜面で相観が非常に異なる。亜高木層にツバキが優勢を示すのは南斜面と同様であるが,南斜面程ホルトノキはない。低木層にはアオキがよく発達し,ツバキ,モチノキ,ネズミモチ,イヌワビ等がそれに次ぐ。草本層は発達が悪くこれも樹冠の隙間から光が少し通る場所にベニシダの群落がみられるが,特にカラタチバナが局所的に群生しているのは特筆すべきである。北斜面の群落組成は表―4に示す。

 

(表−4 北斜面の群落組成表1)

(表−4 北斜面の群落組成表2)

 

3)東斜面

 東斜面の群落は,南北両斜面の構成種が入り混った組成を示し,その南よりでは南斜面の要素が強く,北よりの部分では北斜面とよく似た群落となっている。群落組成は表―5に示すように,ムクノキ,ホルトノキとそしてクスノキが高木層を占めているので,相観は南斜面に似ている。亜高木層にはツバキ,ハゼノキ,カゴノキ,イヌマキなどが,そして低木層にはベニシダ,イシカグマが比較的発達している。

 

(表―5 東斜面の群落組成表)

 

4)西斜面

 植林されたニセアカシアが約10メートル位の高さに生長しているが,昭和37年10月から西斜面の上部に大きな配水池をつくるための工事が行われており,そのため元の群落は全く破壤されてしまったが,破壤以前の調査資料があるのでここに示す。

 

(表−6 西斜面群落組成表)

 

 ニセアカシアが植林されてあった場所の上部(西斜面の上半分)は自然林で,そこには北斜面と同様ムクノキ,エノキ群落がみられた。西斜面全体としては高木層は斜面上部に限られたムクノキ,エノキ,亜高木層は上部ではヤブツバキ下部ではニセアカシアが優占していた。低木層ではニセアカシア群落の中へヤブツバキが侵入しておりヤブツバキが優占種である。草本層は他の斜面より受光量が多いので他斜面にあまりみられなかったクサイチゴ,チヂミザサ,イノコズチ等が平均被度が大で,さらにオオバコ,ヨモギ,カンサイタンポポ等の陽生植物も侵入している。

 

 6 胸高直径の分布

 城山の群落は歴史が始まって以来,自然状態か或はそれに近い状態がずっと保たれて来て現在の群落があると考えられる。この群落が将来どのようになるかという事は非常に興味深い問題である。

 生物はまわりの環境から働きかけられ(action),それに対して働きかえし(reaction)ながら生活している。換言すれば植物共同体というものは,種々の環境要因の働きかけを受けながらそれらの環境要因を変化させていき長年月たった最後にはその物理的な生活場所に対して平衡を保つようになる。つまりそこでは自己永続的な群落として存在する。これが極相群落であってこの群落は一応安定した状態(遷移系列の最終段階)を保つことができる。このような極相群落には2通りあって,その1つは夫々の地方の気候条件にかなった「気候極相」(徳島市付近ではシイ林)で,他は基底の局地的状態によって変化した多くの「土地極相」である。即ち,地形,土壌,水分等が気候極相を発展させない所では遷移は土地極相として終る。いいかえれば物理的な基底の状態が極端である程環境を変化さすことは難しく,群落の発展にはその地方の気候に対して平衡に達する事なく止ってしまう。要するに極相とは一応安定した群落で,自己永続性(self maintenance)の能力を有する群落である。従ってそのような群落は同種の多数の幼木と少数の老木より成っていると考えられる。そこで各斜面に於ける胸高直径の分布について調べた結果は次に示す通りである。

 東斜面では図―3に示すように老木から幼木まで連続してあるのはムクノキでホルトノキは胸高直径60センチメートル級のものはあるが,そのあと50〜20センチメートル台がなく20センチメートル未満の幼木があり,これらはムクノキより多い。

(図-3 東斜面胸高直径分布曲線)

 西斜面は自然林と人工林とあって,一つの群落ではないが,他の斜面との都合上一緒にまとめて図に示した(図―4)。ムクノキは種々の直径をもつものがあることがわかる。ニセアカシアの示すカーブは植林した夫々の木の生長の違いを物語っていると考えられる。また実生も可成りみられた。

 

(図-4 西斜面胸高直径分布曲線)

 

 南斜面ではクスノキが直径の大から小へと広い範囲にわたってあり,ホルトノキがそれに次いでいる。ホルトノキの方がクスノキの幼木より数は多いが大きくなったとき樹冠の大きさはクスノキが大であるから,おそらくこのままの状態でいけば,クスノキの群落として続くであろう。またムクノキは10センチメートル未満の幼木が非常に多い。

 

(図−5 南斜面胸高直径分布曲線)

 

 

 北斜面ではホルトノキが最大胸高直径を示しているが,そのあと70センチメートルから30センチメートル台まで後継者がない。然してエノキは50センチメートル台にカーブのピークがあって,ムクノキよりその数がやや多く,かつ両者共に広い範囲にわたって分布している。(ムクノキ,エノキに直径に大なのがないのは直径が70センチメートル以上になった老木は台風によって根本から析れて倒れることがよくある為と考えられる。また図―6の最高直径のホルトノキは昭和36年の台風で根こそぎ倒れてしまった。)

 

(図−6 北斜面胸高直径分布曲線)

 

 これらの分布曲線が示すところは,各斜面の群落の優占種とよく一致している。然しいずれの斜面にも少数の老木と多数の幼木とから成っているとは云えない。が現在の優占種は直径分布からみて大から小への広い幅をもっていることがわかる。これは典型的な極相でないとしても,それぞれの樹種の特微(例えば樹冠の形や大きさ)や寿命,折れやすさ等を考え合わせると,一応現在の状態がこれからも続くであろうと考えられる。それ程旺勢ではないが,自己永続性の能力をもっている極相群落であると云えよう。即ち城山では気候極相にまで発展を許さないような地形,土壌,水分等の要因が強く働いて,斜面毎に異る土地極相を呈していると考えられる。

 

 7 林床の照度

 以上述べたように東西南北の四斜面で各階層の群落組成が異るため,夏季には林床に達する光の量はあまり差はないと考えられるが,冬季落葉した時群落内での照度に可成りの差がある。即ち南斜面は光を多く受けるが,常緑樹の樹冠があるため林床まで達する光は少く,北斜面は落葉樹林であるからその光は多い。次に各斜面について夫々照度計で調べた結果を示す。

 

(表−7)

 

 

 なお天気や太陽の位置が大いに影響するので曇天の日,太陽が南中する時刻を選んで測定した。表からわかるように南斜面は林床へ達する光が最も少く,北斜面がより多い事がわかる。東斜面は南斜面と殆ど変らないが,少し明るい。なお西斜面は落葉樹種の群落であり,ニセアカシアの部分は高木層を欠くので4斜面中最も照度が大である。頂上は護国神社前にクロマツの疎林があるので100%とならず60.39%となっている。

 

 8 局所気候

 植物共同休が地面をおおっている場合,その内部の気候は植物共同体に固有な熱特性と生活活動との逆作用によって,裸地上の接地気候とは全くちがった様相を呈する。樹冠は太陽の輻射が入るのをさえぎり,また樹木は土壌より比熱が大でかつ葉面からの蒸散作用は熱をうばうので樹木の温度はあまり高くならない。従って植物共同体内は植物共同休外より最高気温が低く,最低気温は高い。従って1日の気温の較差は小で林内湿度は蒸散作用のため比較的高い等ということが考えられるがさらに植物共同体(群落)どうしの間でもその斜面の傾斜角度,傾斜方向等によっても局所的な気候は異る。

 城山は北斜面がムクノキ,エノキの群落で南斜面がクスノキ,ホルトノキの群落であるが,このような群落の著しい差異は複雑な環境条件の違いによって生じたものであり,また同時に逆に夫々の群落はその林内の種々の環境条件を規定していると考えられる。

 ここではそれらの環境要因の1つである温度と湿度とについて調べた結果を示す。

 調査期間昭和35年1月から同年12月まで,方法週1回12〜13時の間にアースマン吸気温湿計を用いて,東斜面1カ所(道の都合上可成り北寄りの場所),南斜面2カ所,北斜面2カ所夫々各斜面の群落内及び頂上で定位置測定をした。

1)気温の変化 頂上のクロマツ疎林内で測定したのと同時刻の気温を徳島気象台の自記紙で読みとり各斜面と比較したのが表−8である。

 

(表−8 東・南・北各斜面及び気象台の気温)

 

年間を通じて城山頂上の気温が低く,その差は夏に大で(8月2.3度)冬に小(12月0.3度)であることがわかる。なお年平均気温は気象台19.5度,18.0度で頂上1.5度の差がある。

2)湿度の変化 これも気温と同様にして気象台の値と比較した。4月から10月までの間は城山頂上の方が湿度は大であるが冬季(12月から3月まで)は城山頂上の湿度が気象台のそれより低いことがわかる。

 

(表−9 東・南・北各斜面,頂上及び気象台の相対湿度(%)

 

 なお年平均湿度は気象台,城山頂上共に56%で同じ値である。

3)各斜面の湿度 各斜面の湿度を,頂上の湿度を100としてその相対値を示すと,図―7の上の通りで東斜面が1,2月と12月に特に高く,北斜面がこれに次いでいる。南斜面は変動してはいるが平均して頂上とよく似た値を示している。年平均は東斜面62.1%で最大,次いで北斜面61.1%,南斜面56.5%,頂上56.3%の順である(東斜面の定位置は道路の都合上城山で最も水分の多い場所となったためである。)(図−7)

4)各斜面の気温 3)と同様頂上の気温を100として相対値で示すと図―7の下のようになる。南斜面は冬に頂上より高く,夏に低いが東斜面,北斜面では逆に冬は温度が低く夏に高い傾向がみられる。つまり南北両斜面では冬に気温が著しく異ることがわかる。年較差は気象台が23.7度,頂上22.8度,東斜面23.3度,北斜面22.8度,南斜面21.2度となっており,南北両斜面は気象台より年較差が小である。

5)季節別日中変化 南北両斜面のほぼ中央群落内に定位置を設け,1月,4月,7月に夫々朝6時から夕方18時まで,1時間毎に気温の変化を調べた(1メートルの高さ)結果は図―8に示す通りで,1月は気象台と南斜面のカーブがよく似ているが,4月,7月と気温が高くなるにつれその差が大きくなっている。また日較差や気温の上昇のカーブは季節によって異っていることがわかる。

(図−8)

 9 開花期について

 '58年1月から'59年12月までの2年間,週1回,城山の頂上に至る4本の道路傍に生えている植物についてその開花期を調べた。この間に68科,181種が調べられた。科別にみるとキク科が最も多く16.6%(30種),次いでバラ科5%(9種),マメ科5%(9種),タデ科4.4%(8種)その他となっている。月別の開花種数は,1月に5種で最も少く2月3月と次第にその数を増し,6月が72種で最も多くみられる。以後次第に減少していることがわかる。

 

(図−9 月別開花種数)

 

 次に'58年と'59年の開花期間と開花時期を主な種についてみると,開花期間の長さは種類によって長短はあるが,ツバキは約半年間開花しているがソメイヨシノは1カ月に足りない。年によってその期間が著しく異なることはないが,開花時期は年によって早い遅いがある。'59年度が'58年度より開花時期が早いものは,ヤマアイ,ソメイヨシノ等の15種に対し,'59年度が遅いものはアオキ,オオバコ等9種,またほぼ同じ時期に開花したものは,イズセンリョウ,など8種であり,全般的にみて,'59年度の方が開花時期が早いものが多い。

 次に'58年度と'59年度について月別に早く開花したものを選びだすと,2月にはオランダミミナグサ,ナズナ等9種は'58年度が早く,コハコベ,ウメ等は'59年度の方が早く開花している。3月には'58年度が早いものヒサカキだけ,おそいものソメイヨシノ,ニワトコ等8種と逆になり,4月も3月と同様の傾向がみられる。(図−10 開花期比較表)

 このような開花時期の遅速を決定する要因はいくつか考えられるが,その最大の要因と思われる気温と比較してみると図―10に示す通りである。つまり1月では気温が'59年が低く,2,3,4月と'59年度が高い。以上の事から特に春に開花する植物では,その時期は1カ月前の気温と可成り密接な関係があると考えられる。

 なお,南北両斜面間での同じ種についての開花時期の遅速はみられない。

(図−11 月別平均気温・最低気温と開花時期の遅速)

 10 まとめ

1)徳島公園の城山は標高69.1メートル,東西に細長い小丘陵で,長い南北両斜面と短い東西斜面とが区別される。

2)各斜面には夫々異った群落が発達している。これらの群落は古来保護されて来たので殆ど人工が加わっていない。各斜面の群落は

東斜面  ムクノキ―ツバキ―アオキ―ベニシダ群落

西斜面  ニセアカシア―ツバキ―クサイチゴ―群落

南斜面  クスノキ―ツバキ―ツバキ―イシカグマ・ベニシダ群落

北斜面  ムクノキ・エノキ―ツバキ―アオキ―ベニシダ群落である。

     

3)夫々の群落の中高木層の樹種の胸高直径の分布から各群落は自己永続性(self-maintenance)をもつ土地極相であると考えられる。

4)南北両斜面では,気温が冬季に於て非常に差がある。

 

 参考文献

1)管野 一郎:土壌調査法,古今書院(1959)

2)木村 晴夫:城山の原生林,阿波研究P8〜91(1955)

3)鈴木 時夫:生態調査法,古今書院(1954)

4)徳島県史普及版,徳島県(1963)

5)湯浅良幸編:日本史・阿波史年表(1957)

6)徳島市誌,徳島市(1958)

7)徳島県学習指導資料社会科・理科篇(徳島県教育研究所(1951)

8)沼田  真:植物生態学,古今書院(1959)

9)福井英一郎:自然地理,朝倉書店(1954)

10)堀川芳雄,奥富清:周防岩国城山に於ける斜面植生の連続,広大生物学会誌6:8〜17(1955)

11)理科年表(1961)

徳島県立図書館