阿波学会研究紀要

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郷土研究発表会6・7・8合併号  
徳島市大神子海岸丘陵に於ける火事跡の植生変化について 森本康滋
徳島市大神子海岸丘陵に於ける火事跡の植生変化について

城東高校 森本康滋

  

※之は理科学会研究報告〔1〕1958徳島県高等学校理科学会に発表したものである。

 

1 まえがき

 植物群落が破壤されると,その跡には植群が復活を始め,環境との働きあい(action, reaction)や生物同志の相互作用(coaction)により,自己発展的に一定方向に向って変化する。この現象を遷移(succession)と呼んでいる。遷移は典型的に次の様に表わす事が出来る。即ち開拓期(pioneer stage)に始まり,生物的,無生物的環境により異る多種多様の遷移相(serial stage)を経て,最後に極相(climax)に達し,その群落は一応安定する。この遷移系列はその地域の気候,土壤等により左右され,種々の極相(気候極相,土壤極相等)を呈する。今西は遷移の説明に棲みわけの原理を導入し,遷移は“ある植物の種が棲みわけをどこまでも維持せんがための棲みかえである”と説明している。

 遷移が起る場合,以前にはいかなる群落もなかった場所から始まる一次遷移(primary succession)と,以前にあった群落が除かれ又は破壤された地域に於て始まる二次遷移(secondary succession)とが考えられるが,後者の方が前者よりも遷移が早く進む,一次遷移はさておき,二次遷移について述べると,例えば群落が火によって破壤された場合,破壤の程度が完全でないなら,破壤前の群落構成種のうち,火に対する抵抗性の弱い植物は滅び,抵抗性の強い種の生育を有利にし,後者はさらにその抵抗性に応じて不定芽より萠芽を発し,生長し遷移系列の初期段階に於て,より早く群落を再成する。従って火に対する抵抗性の強い種がその群落の優占種となり,前にあった群落とは異った群落となる事が少くない。

 ADAMSON(1935)は南アフリカ喜望峰のテーブル山の山腹で火事跡地の植群の再生状態を調べて,極めて興味ある報告をしている。そこには Protea を優占種とする熱帯灌木林が発達していて,それを構成する顕花植物は92種であった。その一部の山火事跡地には6年後に前と同様の Protea 灌木林が回復したが,この間に出現した顕花植物の総数は173種に及び,原群落の植物総数92種の中16種は全く再生せず,又81種の新らしい侵入者があったが,この中38種は一時的なものであって,途中で消失してしまった。更に原群落の植物中33種は山火事後毎年現われたと云う事である。

 山火事跡地に如何なる群落が再生するかは興味ある問題であるが,その経過を詳細に研究する事は植物生態学上更に興味ある幾多の問題を含んでいる。

 上記の文献は年を尺度とした調査結果であるが筆者は更に月の尺度をもって山火事跡地に於ける植群の再生について,最初の一年間の調査を終ったので報告する。

 

2 調査地概要

 調査地は徳島市大原町大神子海岸丘陵に於て1956年4月22日,灌木林約10町歩(昭和31年4月23日徳島新聞)を焼いた山火事跡である。山火事現場は,大神子海岸の北端に当り,大神子海岸と勝浦川の川口との間にはさまれ,約300メートルの巾で細長く約700メートル外海(東)へ突出した半島状丘陵(最高標高78.4メートル)の一部であり,地質学的には三波川層に属し,石墨千枚岩より成り,所々母岩の露出がみられる。

 徳島市の気候は,気温,年平均15.2度,月別平均気温最高31.3度(8月),最低0.9度(1月),年降水量1568ミリメートル,年快晴日数80日,可成り湿じゆんである。然し調査地は,周囲が灌木群落で且つ海上を吹いて来る風が強く当り,可成り乾燥していて,土質は極めて瘠悪である。焼ける前の群落組成について詳しい資料はないが,山火事跡が比較的狭く,焼け残った灌木等から推察して,焼けていない群落(ウバメガシ(灌木)――コシダ群落)と大差ないものと考えられる。又調査地域内の群落は焼ける前ほぼ均一な群落組成であったと仮定して論を進めたい。

(図1)

3 調査方法

 焼跡の中心部に近い山腹の南斜面,北斜面及び西斜面に夫々3っづつ計9個の100平方メートル永久方形区を設定し,1カ月毎に各方形区に出現する植物の種類及び被度について調査した。被度階級は Penfound-Haward 法に準拠した。出現度は20%区切りの5階級で示した。

 

4 調査結果及び考察

1)調査地付近の焼けていない群落

 被害を受けなかった群落には表―1に示す如く24種の植物が見られ,第3層にウバメガシを優占種とし,平均被度の大なものには,モチツツジ,ヒサカキ,アカマツがあり,又,ヤマハギ,ヤマツツジ,ネジキ,コバノトネリコ等の出現度が大である。第4層ではコシダが優占し,出現度も平均被度も高い価を示し,他種の侵入を容易に許さない,コシダのやや粗な場所にはススキが点在している。

(表1 ウバメガシ―コシダ群落)

 火の被害を被むった場所の群落組成も以前は大体表―1に近いものであったと考えられるが,焼け残った木々から判断すると,ウバメガシの被度は表―1の群落より小で,リヨウブが出現度,被度共に大であったと推定されるし,その他イヌザンシヨウ,クロマツ,アカメガシワ,タラノキ等が焼けた群落に存在していたと考えられる。

2)各月に於ける萠芽及び発芽植物

(1)1ケ月後(1956年5月)

 山火事後約1ケ月して第1回目の調査を行った。焼跡には1〜2メートルの黒くこげた灌木が林立し,特長ある木はすぐ解ったが大抵の植物はその萠芽から判断するより仕方がなかった。焼けた株から最初に萠芽し且つ出現度が大になった種から順に示すと,ヤマハギ(40センチメートル位に伸びている),ススキ(40センチメートル),ワラビ(50センチメートル),サルトリイバラ(60センチメートル),コバノトネリコ(20センチメートル),ネジキ(5センチメートル),ケカモノハシ(15センチメートル)等,全調査区で13種を数えた。これらの植物について西斜面,南斜面,北斜面及び全調査区に於ける平均被度,出現度並びに出現植物種数について示すと表―2の通りである。

(表2 1ヵ月後各斜面及び全調査区の平均密度、出現度並びに出現種数)

 ヤマハギ,ススキ,ワラビ,サルトリイバラ等は各斜面を通じて出現している。これ等は火に対する抵抗性が著しく大であると考えられる。又これらに次いで,コバノトネリコ,ネジキ等も抵抗性が大であると云えよう。表―2からわかるように,北斜面に出現した植物の種数は西斜面及び南斜面のそれより多い。この時北斜面だけに出現し,西及び南斜面に出現しなかったコウヤボウキ,ノブドウ,ヒメハギ,ヤマノイモ等は西及び南斜面ではさらに1〜2ケ月後におくれて芽を出す事が後になって明らかになった。

(2)2カ月後(1956年6月)

 2カ月目になると,1カ月目に萠芽していなかったリョウブ,モチツツジ,ヒサカキ,ウバメガシ,ナツフジ,ヤマツツジ,ソヨゴ,テリハノイバラ,ケトダシバ,クリ,アカメガシワ,シャシャンポ,カマツカ,ヤマザクラ,シハイスミレ等15種が新に萠芽し,中でもリヨウブ,モチツツジは3斜面に一度に出現し,且つ出現度は5である。ヒサカキ,ウバメカシ,ナツフジ等は前二者に次いで出現度が大である。(表―3)

(表3 2ヵ月後各斜面及び全調整区の平均密度、出現度、出現種数)

 又斜面別にみると北斜面は西及び南斜面より出現種数が多く,且つ出現度も大で,平均出現種数は北斜面が最高の18.3種を示している。又全調査区での出現種数は28種で焼け残った群落の構成種より稍多い。

 二カ月目に出現した此等15種は萠芽を出すのに1カ月以上の時間を必要とするものと云えよう。又1カ月目に既に出現していたヤマハギは平均被度1になった。

(3)3カ月後(1956年7月)

 3カ月目に新しく出現したものはヌルデ,クチナシ,ヤクシソウ,クサギ,ケナシヒメムカシヨモギ等6種,萠芽を発するのに2カ月以上を要した種である。これ等6種のうちヤクシソウ及びケナシヒメムカシヨモギは種子が風で運ばれて来たものと考えられる。3カ月目の出現度,平均被度並びに出現種数は表―4の通りである。

(表4 3ヵ月後 各斜面及び全調整区の平均密度,出限度,出現種数)

 1,2カ月目までは各斜面の出現度や出現種数に或る程度差が見られたが3カ月目になると,どの斜面もあまりその差が認められないようになった。

(4)4カ月後(1956年8月)

 更に新しくヒヨドリバナ,オオアレチノギク,ヤマモモ,クロマツ(芽生),ヨモギ,ヤマウルシ,タラノキ,ナキリスゲ,ガマズミ,キキヨウラン,コガンピ,ダンドボロギク,エノコログサ,アキノキリンソウ等14種が出現,4カ月目に於ける各斜面及び全調査区の平均被度,出現度並びに出現種数について示すと表―5の通りである。

(表5 4ヵ月後 各斜面及び全調整区の平均密度、出現度、出現種数)

 ケナシヒメムカシヨモギが先月に較べて出現度が非常に大になったのが注目される。即ちケナシヒメムカシヨモギは焼跡地に於ける先駆種(風で運ばれた)の一つであると云えよう。その他種子から発芽した種にクロマツ,オオアレチノギク,ヒメムカシヨモギ,ダンドボロギク,エノコログサ,ヒヨドリバナ,ヨモギ等がある,なおクロマツは調査区中に高さ10メートル位のが1本あるので,おそらくは火事により,或はその前にこの木から落ちた種子から発芽したものであろう。

(5)5カ月後(1956年9月)

 この頃になると不定芽から萠芽を出すものは大体出終った感があり,全調査区を平均して,1方形区当り平均28.4種の植物が数えられ,又全調査区に於ける出現種数は55種で焼け残った群落構成種の約2.3倍に達した。5カ月目に新しく出現した種としては,オニタビラコ,イタドリ,イヌホオズキ,クサイチゴ,ニガイチゴ,リユウノウギク,イナカギク等7種がある。5カ月目に於ける平均被度,出現度並びに出現種数は表―6の通りである。

(表6 5ヵ月後 各斜面の平均密度、出現度、出現種数)

 ケナシヒメムカシヨモギは先月より更にその出現度を増し,ヤクシソウがそれに次ぐ,この時早くから萠芽していたヤマハギ,ススキ,ヒヨドリバナ,ケトダシバ,ダンドボロギク等は夫々開花した。

(6)6カ月後(1956年10月)

 更に新しくコナラ,ヘクソカズラ,ヒメジョオン等3種が出現した。平均被度,出現度,出現種数は表―7の通りである。

(表7 6ヵ月後 各斜面の平均密度、出現度、出現種数)

 5カ月後のそれと著しい変化はみられないが,最初に萠芽したヤマハギは平均被度2を示し焼跡地に於ける優占種としての地位を保っている。リヨウブ,ヒサカキは萠芽するのがやや遅れた為か生長度はヤマハギと殆ど変らないが被度は1でヤマハギに次いでおり、又多数の種が開花した(第7頁参照)。

 以上6カ月にわたり各斜面及び全調査区の平均被度・出現度並びに出現種数についてみて来たが,最初の1・2カ月間に於ける各種の出現度及び出現種数は西斜面及び南斜面より北斜面が大である。この理由は勿論焼ける前の原群落に差があったと云う事も考慮に入れる必要があるが,今一つ火と風の方向についても一考を要すと思う。即ち火は南端の登り口付近(西斜面南端)から出火し折からの東南の風にあおられて西斜面を北に焼き,南斜面に焼け移り,更に尾根を越えて北斜面へ延焼したので,北斜面は風の方向から考えて西斜面,南斜面程強く地面に焼きつけなかったのではないかと思われる。

 6カ月目までに出現した植物は58種で1カ月目に出現した種数の約4.5倍にのぼる。そしてこれ以後種数の増加はあまり顕著でないが,それは焼跡であるため生育条件が悪いと云う事も考えられるが,丁度11月になるので,季節的要因に左右されていると考えるのがよいと思う。又春になると種数は増加の傾向を示す。(第4項参照)

(7)7カ月以後について

 7カ月以後12カ月目までに出現した植物の種は14種で,早いものから順に並べると,タツナミソウ(7カ月目,以下( )内の数字は何カ月目かを表す),ウラジロ(8),ジヤノヒゲ(8),キンラン(11),ハルノノゲシ(11),ハハコグサ(11),マルバウツギ(11),ヤブツバキ(11),ヤブムラサキ(12),ヒヨドリジヨウゴ(12),チヂミザサ(12),ノアザミ(12),ゼンマイ(12),イボタノキ(12)等である。これらの事から灌木で萠芽を出すのが遅い種はマルバウツギ,ヤブツバキ,ヤブムラサキ,イボタノキ等である。これ等は火に対する抵抗性が非常に弱い種であると云えよう。

 

3 平均被度と出現度の変化

 前項で萠芽,発芽植物についてみたが,次にそれら植物の被度変化及び出現度の変化についてみよう。被度は常緑樹の場合は季節に関係なく一定しているので被度の変化の様子がよく解るが,落葉樹では冬季には被度が小になるが止むを得ない。山火事の跡で早く萠芽を発し,その芽が早く生長するものが被度が大になる。全調査区について一年間の平均被度及び出現度の変化を主な植物について月別に示すと,次の様になる。(表―8)

 最初に出現し,被度が急激に増大するのはヤマハギで5カ月目即ち1956年9月に平均被度2を示した,それ以後11月まで被度2を維持したが,12月に落葉し被度は1に減少,翌年4月に再び被度が増した。ヤマハギに次ぐ種はススキで11月に平均被度2を示した。リヨウブ,ヒサカキ,ウバメガシ,ソヨゴ等は焼けて2カ月目に萠芽を発した。このうちリヨウブは勢力的に生長し,平均被度は8月に1となり,ヤマハギに次ぐ優位種となった。又ヒサカキは,ウバメガシやソヨゴより5カ月程早く被度が増加しているが,ヒサカキが他の二種より焼けた株が多い為でもあるが,同時に生長も他の二種よりやゝ早いように思われる。モチツツジとヤマツツジとは被度・出現度はあまり相違はないが,モチツツジの方が生長の割合は大である。草本ではススキが第1位,次いでワラビである。コシダは地下茎が縦横に網目状に走っているに拘らず,被度が大になるのが遅い。ワラビがコシダより火に対する抵抗性が大であると云える(ワラビの地下茎がコシダのそれより深い所にあるのに原因している),又ケナシヒメムカシヨモギの出現度の著しい増加は特筆すべきものである。

 火に対する抵抗性が大で,より早く不定芽から萠芽を出し,且つ早く生長する種は,ヤマハギ,ススキ,リヨウブ,ヒサカキ,ネジキ,ウバメガシ等の種である。

 

4 各斜面に於ける平均出現種数の変化

 各斜面について1方形区当りの出現種数及び,全調査区に出現した植物の種数は図―2の通りである。

 北斜面は1カ月目から他の2つの斜面よりも多くの種が出現し,1年間を通じて優位を保っている。そして3斜面に於ける平均出現種数の変化は大体同じカーブを描き,いづれもほぼS状曲線を呈する。此事は又全調査区に出現した種数についても云える。之は初めの5カ月頃迄に原群落構成種の大部分のものが漸次萠芽を発し,同時に他から運ばれて来た種子も発芽・生長するのに4・5月目頃が適当な為であろう,勿論季節的要因も重視する必要がある。9月迄種数は急激に増加し,それ以後冬季に入るのであまり変化がみられず,翌春3月,4月と漸次増加の傾向を示している,即ち第2年目の生育季には更に種数が増加する傾向が伺われるが,如何なる曲線を描いて安定の状態に達するかは予測する事は出来ない。今後の継続観測のみが正しい解答を与え得るものであると考える。

 

5 1年間に出現した種

 1年間を通じて全調査区に出現した種数は72種で焼け残った群落構成種の3倍に達し,そのうち1年後の1957年4月に既に消失していたものが3種(イヌホオズキ,コガンピ,エノコログサ)ある。図―2で69種しか示していないのはこのためで,ウサギ等の動物に食われたか,或は引きぬかれたものか明らかでない。

 これ等を生活形によって分けると次の様になる。

喬木性植物 12種(16.7%)

リヨウブ,ヌルデ,アカメガシワ,ヤマモモ,クロマツ,タラノキ,クリ,コナラ,ヤマザクラ,ヤマウルシ,サカキ,ヤブツバキ

灌木性植物 21種(29.2%)

ヤマハギ,ヒサカキ,ネジキ,ウバメガシ,モチツツジ,ヤマツツジ,イヌザンシヨウ,ソヨゴ,コバノトネリコ,クチナシ,クサギ,コウヤボウキ,シャシャンポ,カマツカ,ヤブムラサキ,ガマズミ,ニガイチゴ,クサイチゴ,マルバウツギ,イボタノキ,コガンピ

多年生草木 23種(32.0%)

ススキ,ワラビ,コシダ,ケカモノハシ,ヒメハギ,ヨモギ,ナキリスゲ,キンラン,ヒヨドリバナ,シハイスミレ,ヤマノイモ,イタドリ,ケトダシバ,ウラジロ,タツナミソウ,ジヤノヒゲ,チヂミザサ,キキョウラン,ゼンマイ,ノアザミ,アキノキリンソウ,リユウノウギク,イナカギク

1〜2年生草本 10種(13,8%)

ケナシヒメムカシヨモギ,オオアレチノギク,ダンドボロギク,ヤクシソウ,ハルノノゲシ,オニタビラコ,ハハコグサ,ヒメジョオン,エノコログサ,イヌホウズキ

藤本 6種(8,3%)

サルトリイバラ,ナツフジ,ノブドウ,テリハノイバラ,ヘクソカズラ,ヒヨドリジョウゴ

以上33科72種であった。

 

6 種子から発芽した種

 この中には山火事にあいながらまだ発芽力を保っていた種子や,他処から運ばれて来て発芽したと考えられるものが含まれる。即ちヨモギ(3カ月目に発芽,以後( )は何カ月目に発芽したかを示す)ヤクシソウ(3),ケナシヒメムカシヨモギ(4),オオアレチノギク(4),エノコログサ(4),クロマツ(4),ヒヨドリバナ(4),ダンドボロギク(4),オニタビラコ(5),イタドリ(5),ヒメジョオン(6),ヘクソカズラ(6),タツナミソウ(7),ハハコグサ(11),チヂミザサ(12),ヒヨドリジョウゴ(12),等16種である。

 

7 開花(結実)したもの

 焼跡地に生育した植物のうち16種が開花したが,これ等はその時期,花の色,花の形等について焼けなかった場所のものに較べて特筆すべき変化はみられなかった。それ等を次に示すと,即ちヤマハギ(5カ月目に開花)ススキ(5),ヒヨドリバナ(5),オニタビラコ(5),ナキリスゲ(5),コガンピ(5),イナカギク(5),ケトダシバ(5),ダンドボロギク(5),ケナシヒメムカシヨモギ(6),ケカモノハシ(7),サルトリイバラ(11),ヒメハギ(11),マルバウツギ(12),シハイスミレ(12)等であった。

 

5 要 約

1)1956年4月22日,徳島市大原町大神子海岸丘陵にあった火事跡に永久方形区を設定し1年間にわたりその植生変化,特に初期に於ける植物群落の形成について調査した。

2)調査地は地質学的には三波川層に属し,石墨千枚岩より成り,土質は極めて瘠悪である。

3)焼け残った部分の植生から判断して,調査地の群落は,ウバメガシ―コシダ群落であったと推定される。

4)調査は西斜面,南斜面及び北斜面の3斜面について行った。北斜面は前二者よりも群落形成が早く,且つ多数の種が出現する。之は火災時の風向きと関係があると考えられる。

5)出現種数は焼けてから5カ月目頃まで急激に増加し,それ以後10カ月目頃までは殆ど増加せず,11,12カ月目には再び次第に増加する傾向にある。そしてこれ等の出現種数の変化のカーブはほぼS状曲線を画く(季節的要因が考えられる)。

6)不定芽より萠芽を発する時期は種により可成り異る。早く萠芽を出す種は,ヤマハギ,ススキ,ワラビ等で火に対する抵抗性が最も大で,之等に次いでリョウブ,ウバメガシ,ヒサカキ等がある。又非常におそく萠芽を発する種として,マルバウツギ,ヤブツバキ,ヤブムラサキ等があり,之等は火に対する抵抗性が少ない種であると云えよう,

7)平均被度が早く著しく大になった種はヤマハギで,火事後2カ月目に被度1,5カ月目に被度2を示した。ヤマハギに次いて被度が大になった種はススキ(4カ月目),リョウブ(4),ヒサカキ(6),ネジキ(7)等で夫々被度1を示した。

8)1年間を通じて全調査区に出現した植物は33科72種で(内3種消失),焼けていない群落構成種の3倍に達した。それ等を生活形によって分けると,

 喬木性植物 12種(16.7%)

 灌木性植物 21種(29.2%)

 多年性草木 23種(32.0%)

 1〜2年性草木 10種(13.8%)

 藤 本 6種(8.3%)

 多年生草本が最大の割合を示している。

9)種子が他処から運ばれて来たり,又は原群落中にあって発芽力を保持していたもの等は,火事後大体4ヵ月目に発芽した。種子の侵入,発芽には約4カ月の時間を要した。但し季節的要因も大いに関係している。種子から発芽したと思われる植物は16種あって,中でもケナシヒメムカシヨモギは最大の出現度を示した。

10)開花した植物は16種,ヤマハギ,ススキ,ヒヨドリバナ等で,花の形・色及び開花時期等について特筆すべき事はなかった。

11)火事跡に於ける代表的先駆種

 萠芽によるもの,灌木ではヤマハギ,草本ではススキ,藤本ではサルトリイバラ,又種子が他処から運ばれて来た種としては,ケナシヒメムカシヨモギがあげられる。

 

参考文献

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堀川芳雄 1951 植物生態学

徳島県教育研究所編 1951 学習指導資料(社会・理科編)

大井次三郎 1953 日本植物誌

牧野富太郎 1953 牧野日本植物図鑑

H. J. Oosting 1953 The study of plant communities

鈴木時夫 1954 生態調査法

今西錦司 1958 生物社会の論理

オダム 1958 生態学の基礎

東京天文台 1958 理科年表

徳島県立図書館