* 地図( ちず) アラカルト

(うえ) (きた)

 古地図(こちず)()ると、文字(もじ)方向(ほうこう)がばらばらなものがあることに気付(きづ)きます。近世(きんせい)には、地図は(おも)(ゆか)(うえ)(ひろ)げて見るものでした。(まわ)りに()ったり(すわ)ったりして見られたので、文字の方向(ほうこう)も、すべて統一(とういつ)されている必要(ひつよう)はなかったのです。北が上とは限らず、地図の天地(てんち)上下(じょうげ))は、凡例(はんれい)端書(はしがき)裏書(うらがき)などを見て()ることができます。

 そして、(くに)絵図(えず)(むら)絵図(えず)などには、(なん)メートルもある(おお)きなものがありますが、これも、大広間(おおひろま)などに広げて見ることができましたから、問題(もんだい)ありませんでした。和紙(わし)()ぎあわせて大きな絵図を(つく)り、保存(ほぞん)するときには()りたたみました。

測量(そくりょう)絵図(えず)

測量(じゅつ)のことを「規矩術(きくじゅつ)」「(りょう)()(じゅつ)」「(ちょう)(けん)(じゅつ)」などと()びました17世紀末頃には、「阿蘭陀流(おらんだりゅう)」と呼ばれるヨーロッパから(つた)わった道具(どうぐ)知識(ちしき)使(つか)(あたら)しい測量術が(あらわ)れ、(おお)くの流派(りゅうは)()み、全国(ぜんこく)(ひろ)まります。

岡崎家(おかざきけ)の測量術は、「(こう)(もう)(りゅう)()()(げん)(ぽう)」といいました。規矩元器(げんき)を使って方位(ほうい)(はか)り、コンパスを使って()(てん)(かん)距離(きょり)(たか)さを測ります。この結果(けっか)(もと)に、(つぎ)のような手順(てじゅん)で、「阿波(あわ)(こく)絵図(えず)」を作りました。

 国内の各村(かくむら)を測量して、1(ちょう)(やく)109m)の長さを2(すん)(約6cm)に縮尺(しゅくしゃく)した村ごとの「分間(ぶんけん)(むら)絵図(えず)」(約1800分の1)を作成(さくせい)

 ①(ぐん)単位(たんい)にまとめた「分間郡図」(約18,000分の1)を作成。

 ②編集(へんしゅう)して「国図」(約45,000分の1)を作成。

郡図,村,村,村,村

(たび)

 近世になると、交通網(こうつうもう)整備(せいび)によって旅が、出版(しゅっぱん)発展(はってん)によって(ほん)や地図が身近(みぢか)になり、ガイドブック「名所(めいしょ)図会(ずえ)」やガイドマップ「道中図(どうちゅうず)」が(さか)んに出版されました。

 はじめ、「道中図」は、(いえ)(ひろ)げて想像(そうぞう)して楽しむものでしたが、18世紀(せいき)後半(こうはん)(ころ)からは、旅に()って()小型(こがた)実用的(じつようてき)なものが(おお)く作られるようになりました。

 行先(いきさき)は、江戸(えど)(きょう)大坂(おおさか)といった都市(とし)温泉(おんせん)(てら)神社(じんじゃ)などです。四国(しこく)遍路(へんろ)修行(しゅぎょう)だけでなく、庶民(しょみん)参加(さんか)するものになりました。(じょう)(きょう)4(1687)年、(しん)(ねん)によって書かれたはじめてのガイドブック『四国(しこく)(へん)()(みち)指南(しるべ)』は何度も出版され、宝暦(ほうれき)131763)年には、ガイドマップ『()(こく)(へん)(れい)()() (ぜん)』が、(ほそ)()(しゅう)(えい)によって作られました。周英は、『四国遍路道指南』を持って四国遍路を行い、まず略図(りゃくず)を作り、その後に再見図を作りました。(みなみ)を上にして、中央(ちゅうおう)には弘法大師(こうぼうだいし)(えが)かれています。(ふだ)(しょ)()(いん)(めい)や、札所(かん)(みち)だけでなく、周辺(しゅうへん)名所(めいしょ)旧跡(きゅうせき)(しる)されています。これ以降(いこう)、四国遍路に(かん)する絵図が次々(つぎつぎ)出版されました。

空中(くうちゅう)写真(しゃしん)

 

現在では飛行機(ひこうき)から撮影(さつえい)している空中写真。飛行機ができる前は気球(ききゅう)上げ、そこから撮影していました。

その後、測量用(そくりょうよう)航空機(こうくうき)「くにかぜ」が使用(しよう)されるようになりましたが、写真を撮影する高度(こうど)60007000m非常(ひじょう)に高く、酸素(さんそ)(うす)場所だったので、撮影士(さつえいし)は酸素マスク()けて撮影をしていました。酸素マスクが邪魔(じゃま)で撮影はとてもやりにくかったそうです。

地形図(ちけいず)

◆フランス式地形図

フランスの地図を参考(さんこう)に、1871年(明治4年)から作り始められた地形図。道路や建物、土地の利用方法などを、色を()り分けることで表現(ひょうげん)したため、カラフルな地図になりました。

 

◆ドイツ式地形図

ドイツの地図を参考(さんこう)に、1882年(明治15年)から作り始められた地形図。フランス式とは対照的(たいしょうてき)に、黒一色で(えが)かれました。そのため作成(さくせい)に時間がかからず、費用(ひよう)も安く()みました

 

フランス式からドイツ式へ作成方法を変えたのは、早く安く作れる理由(りゆう)の他に、フランスが普仏(ふふつ)戦争(せんそう)1870-1871年 におきたフランスとプロイセン(=現在のドイツの一部)との戦争)でドイツに負けたからだともいわれています。

(ぐん)発行(はっこう)ていた地図

 

当初(とうしょ)地形図は、軍が軍事(ぐんじ)の目的のために作成(さくせい)・発行していました。地図にはもちろん軍事上重要(じゅうよう)施設(しせつ)(ふく)まれましたが、(てき)に重要な施設の位置(いち)がばれないよう、重要な施設は空白(くうはく)()(つぶ)されたり、別の建物に書き()えられるなどの処理(しょり)がなされていました。

災害(さいがい)()の地図利用

1.消防(しょうぼう)地図(ちず)システム

 住宅(じゅうたく)地図(ちず)(もと)につくられた消防用デジタル地図で、通報(つうほう)同時(どうじ)火災(かさい)現場(げんば)を地図上に表示し、周囲(しゅうい)消火(しょうか)(せん)位置(いち)や、消防(しょうぼう)緊急(きんきゅう)車両(しゃりょう)通行(つうこう)可能(かのう)な道を確認(かくにん)できます。(こま)かな路地(ろじ)や、道路(どうろ)道幅(みちはば)まで確認できるのは、詳細(しょうさい)な情報をまとめた住宅地図ならではの特徴(とくちょう)です。

 

2.災害と紙の住宅地図

 デジタル地図が一般的(いっぱんてき)になった現在でも、災害時に活躍(かつやく)するのは紙の地図です。災害(さいがい)現場(げんば)では大きなモニターや電源(でんげん)確保(かくほ)することが(むずか)しく、紙の住宅地図を手にした自治体(じちたい)職員(しょくいん)現地(げんち)(おもむ)き、救助(きゅうじょ)活動(かつどう)安否(あんぴ)の確認を(おこな)います。

住宅(じゅうたく)地図(ちず)作りのための現地(げんち)調査(ちょうさ)

住宅地図は、毎年(まいとし)あるいは2~3年に一度更新(こうしん)されます。

 そのために1日(やく)1000人の現地調査員が、日本中を歩いて前年度版(ぜんねんどばん)からの変更点(へんこうてん)がないか調査しています。

 調査(ちょうさ)項目(こうもく)表札(ひょうさつ)などに書かれた居住者(きょじゅうしゃ)氏名(しめい)家屋(かおく)(かたち)(ほり)、店名・事業所(じぎょうしょ)名、建物名、車道(一方(いっぽう)通行(つうこう)などの情報)、歩道の有無(うむ)交差点(こうさてん)名、バス(てい)名などがあり、調査(ちょうさ)範囲(はんい)は家がある場所なら山中(さんちゅう)一軒家(いっけんや)までも調査します。

 使用する道具は紙の地図とボールペン・(いろ)鉛筆(えんぴつ)のみで、特にピンクの色鉛筆は道路から建物への侵入(しんにゅう)(ぐち)記録(きろく)するために使用されます。

このため、この情報(じょうほう)通称(つうしょう)「ピンク情報」と()ばれ、カーナビシステムで活用(かつよう)されます。

地図(ちず)記号(きごう)

 地図記号は、地図上の地形(ちけい)施設(しせつ)、道路や土地の状況(じょうきょう)を表すための記号で、現在の地形図では161種類(しゅるい)の記号があります。

 地図記号は時代(じだい)変化(へんか)とともに見直しが行われ、新しく記号が作られたり、使われなくなった記号が廃止(はいし)されてきました。また形の見直しも行われており、近年では日本に多く(おとず)れるようになった外国人(がいこくじん)のために、外国人観光(かんこう)(きゃく)用の地図には、(あら)たに海外の人にもわかりやすい形の地図記号が採用(さいよう)されています。